もどる foot_linehidari.gif    iconhoum1.gif   icon2133.gif foot_line.gif すすむ 

第7日   南栗橋〜古河 (その2)  

             (歩いた距離 18.4q)    2005.05.21

 利根川橋で利根川を渡る。
 この橋の欄干には、埼玉県側には県鳥のシラコバト、
茨城県側にはヒバリの金属のすかし彫りがはめられている。

nikko07-20.JPG nikko07-21.JPG

nikko07-22.JPG  古河市にはいる。

古河市:マンホール

nikko07-23.JPG  土手の下に
房川渡(ぼうせんのわたし)と中田関所跡の説明板がある。
 「利根川のうち、当地と対岸の栗橋の間の流れの部分を
房川と呼んだ」という。
ここに中田関所があったが、
後に、対岸の栗橋側の水辺に移されたので、
普通には「栗橋の関所」といわれている。

nikko07-24.JPG  鶴峯八幡神社がある。「当社は治承4年(1180)、
源頼朝が奥羽征討の折この地に立ち寄り祈願したところ、
武運が開けたので相模の鶴岡八幡宮を分霊した」ものである。

nikko07-26.JPG nikko07-25.JPG  ヒゲの生え方が猫のような
「江戸くずし」の狛犬がいる。
 ア・ウンとも子狛がいて、
親と同様ヒゲをはやしている。

nikko07-28.JPG nikko07-27.JPG  境内の小祠の前に、
全身がコケに覆われた
江戸尾立」の狛犬がいる。
右ア、左ウンが
それぞれ二段角、擬宝珠である。

nikko07-29.JPG  鶴峯八幡神社の先に、静御前のゆかりの光了寺がある。
 静御前が栗橋の高柳寺で義経の菩提を弔ったが、
高柳寺は後に衰えて光了寺として再興されたという。

 JR宇都宮線を踏み切る。

 新しい真直ぐな道をいく。
 この辺りを中田の松原というが、現在は住宅地になっていて、
新しく植えた小さな松があるだけである。

 右側に香取神社がある。
 昭和13年(1938)の「江戸くずし」の狛犬がいる。
 頭髪が多く、長四角の顔である。尾が立っていて、一部が流れている。

nikko07-30.JPG  古河第二高等学校がある。
 フェンスに囲まれた校庭の縁に、
土が盛られた一里塚の跡がある。
その上にエノキが植えられている。

 先にいくと商店街になり、古河宿である。

 古河駅でJRに乗り、帰宅。

(06.05.06)

 南栗橋から古河のフォロー散歩に行ったとき、古河第二高等学校の辺りから左に入り、
古河総合公園にいった。
 ここは、古河公方、足利成氏の館跡で大きな池のある公園である。
 古河公方とは、足利尊氏が京都に幕府を開き、次男基氏を鎌倉公方にした。
その子孫が鎌倉公方を代々世襲していたが、次第に室町幕府と関係が悪化した。
 15世紀半ばに成氏が幕府軍や関東の諸豪族と戦いながら古河にきたとき、
鎌倉が失陥したので、古河にとどまり古河公方と自称した。
 正式な官位ではなかったが、100年間にわたって関東圏の一大勢力であった。

 この公園には、大賀ハスの蓮田もある。
(大賀ハスは大賀博士が2000年前の古代ハスの種を発見し、開花させたもの)。
 今日は休日であるので、多くの子ども連れが遊んでいた。

nikko07-32.JPG nikko07-33.JPG

 公園から駅に向かう住宅地の中に、小さな子之神社がある。
 台座が土に直置きの狛犬がいる。胴長で小型の「はじめ」狛犬である。
 顔は風化し、丸まって目鼻立ちがわからなくなっているが、右ア・左ウンである。
 胴に文字が彫ってあり、○尾○太夫長○、○田○太夫長子という奉納者の名と、
元禄16稔(1703)と書かれている。 尾は背中にぺったりくっついている。
 胴に文字が書かれている「はじめ」狛犬は、金沢浦賀往還を歩いたとき、
杉田の八幡神社にいた。

nikko07-34.JPG nikko07-36.JPG nikko07-35.JPG

もどる foot_linehidari.gif    iconhoum1.gif   icon2133.gif foot_line.gif すすむ