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第7日   南栗橋〜古河 (その1)  

             歩いた距離 18.4q    2005.05.21

  東武伊勢崎線の南栗橋駅で下車する。  

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権現堂川までいく。

前回の権現堂堤の御幸橋の辺りから
川幅を広くして、利根川と中川をつないで、
調整池となっている。

太平橋があり、川の向こうは工業団地である。

 

 川沿いの国道4号線をいき、東北新幹線をくぐる。

 栗橋大一劇場という掘立小屋の所から、左の細い旧道をいく。

 小さな川通神社がある。境内に水準点が置かれている。
 狛犬はいないが、珍しい石仏がある。
 寛政10年(1798)の一石二段六地蔵がある。
 その隣に嘉永7年(1854)の一石六地蔵がある。
 地蔵の表情、動作が大きく、瓶子から酒をついでいるのや、
竪琴や琵琶のような楽器を持った地蔵もいる。
 東海道を歩いたとき、このような一石六地蔵は藤枝で初めて見た。

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 旧道を先に進むと、赤い鳥居の小さな会津見送り稲荷がある。
 柿沼家の庭先を垣根で仕切った祠である。
 江戸時代に会津藩士が「江戸へ書面を届けるためこの街道を栗橋宿まで来たところ、
地水(地下水)のため通行ができず困っていると、白髪の老人が現れて道案内をしてくれた。
 おかげで武士は無事に江戸に着き大事な役目を果たせた。
 のちに、この老人は狐の化身とわかり、稲荷様として祭ったものである」という。
 稲荷の写真を撮っていると、家の人が出てきて説明してくれた。
 会津藩の人が御礼に寄贈した天明5年(1785)の手洗石が置いてあった。

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 国道4号線と合流するが、直ぐに分かれて栗橋宿の道をいく。
 道幅が狭く、漆喰(しっくい)壁や蔵造りの古い家並みもある。 

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nikko07-08.JPG  地面から2mほどに赤い線が引かれた電柱がある。
 過去の洪水でこの高さまで冠水した痕を示しているという。

 宿の道を左に折れて、栗橋駅にいくと、小さな広場に静御前の墓がある。
都落ちした義経を追って、静が奥州平泉に向かう途中、義経の死を知り、
この地で菩提を弔ったという。

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nikko07-13.JPG  利根川の土手下に、大きな八坂神社がある。

 江戸尾立」の狛犬がいる。

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nikko07-18.JPG  nikko07-17.JPG  拝殿の前に」の
狛犬
がいる。
 これは「慶長年間、
利根川の洪水の時、
鯉と泥亀に守られて
ご神像が流れてきたことに
由来するという。
 右アを招福の鯉、
左ウンは除災の鯉という。

nikko07-19.JPG  利根川の土手に栗橋の関所跡がある。
 ここは、日光道中唯一の関所である。
 「入り鉄砲と出女」を厳しく取り締まっていた。

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