第6日 東武動物公園〜南栗橋 (その2)
(歩いた距離 16.7q) 2005.05.08 |
田宮の雷電神社がある。雷神は水との関係が深く、特に農家の人々の信仰を集めた。
「社の裏には瘤(こぶ)神社、疣(いぼ)権現、疱瘡宮と書かれた石が立てられていて、
皮膚病に悩んだ人々の信仰の姿も見ることができる」。 |
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昭和3年(1928)の
「構え」の狛犬がいる。 |
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聖福寺にいく。ここは日光東照宮に参詣した歴代将軍や、
天皇が送る例幣使の帰路の休憩所であった。
勅使門は350年の歴史があり、扉には菊の紋章が
刻まれている。 |
正福寺にいく。つつじがきれいな寺である。
境内に「義賑窮餓の碑」がある。
「天明3年(1783)の浅間山の大噴火により関東一円に灰が降り、大飢饉になった。
幸手宿では70日間粥を炊いて難民救済にあたった」。それを誉めたたえた記念碑である。 |
国道4号線の近くの浅間神社にいく。
富士信仰の神社で「7月1日は初山といって、その年に生まれた赤ん坊を参拝させ
額に神社印を押してもらう」。また節のない子に育つよう「ネギ」や、
夏を無事に過ごせるよう「うちわ」を買って、健康を願う風習があったという。 |
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昭和8年(1933)の「江戸くずし」の
狛犬がいる。全体にぶさいくである。 |
街道を離れ、右の熊野権現社にいく。
この付近は「江戸時代から船着き場として栄えたところで、
神社には船主や商人から奉納された絵馬が多く飾ってある」。
特に「権現堂堤修復絵馬」は当時の治水技術を知る上で貴重であるという。
権現堂堤は「堤が切れると東京中が水浸しになる」といわれ、大規模な修理が行われてきた。 |
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享和元年(1801)の「江戸尾立」狛犬が
いる。太って、耳が後ろに寝ている。
石工は高木勘兵衛である |
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権現堂堤は桜並木になっていて、
ようこそ「幸手権現堂桜堤へ」と書かれたアーチがある。
桜堤を通って街道にもどる。 |
権現堂堤の西の端は、明治天皇が巡幸のさいに立ち寄ったことから、
御幸堤や行幸堤(みゆき)とも呼ばれている。
国道4号線の中川にかかる行幸橋の付近に、行幸堤之碑が建てられている。 |
行幸橋を渡り、すぐ左側へ入り、国道4号線に平行した旧道をいく。 |
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「右つくば道 左日光道」の
大きな道標がある。 |
左の道をいくと外国府間(そとこうま)の雷電神社がある。
嘉永5年(1852)の「江戸」狛犬がいる。 |
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栗橋町にはいる。 |
栗橋町:マンホール
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小右衛門の一里塚が
ある。幸手宿と栗橋宿の
中間で、江戸から
14番目という。
全体が塚になり、
弁天堂が建っていて、
当時の姿を偲ぶことが
できる。 |
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