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 はじめに

 徳川家康が慶長7年(1602)に江戸に幕府を開き、江戸を中心とした交通政策を始めました。

 そして、慶長8年(1603)に日本橋が架けられました。

 五街道の全てが日本橋を起点にしていて、日光道中も同様で、
宇都宮までは、五街道の一つである奥州道中と同じ道でした。

 当初、奥州方面への街道は多種あったようですが、
元和3年(1617)に日光東照宮が完成した頃には、ほぼ日光道中も確定したといわれています。

 江戸と日光を結ぶ道が重要とされたのは、
元和2年(1616)に死亡した家康の遺骸を翌年久能山から日光の霊廟に移し、
その参詣の道となったからです。

 日光東照宮への参詣は、大名だけでなく庶民にも許されていたので、
日光道中は江戸時代を通してにぎわっていました。

 寛永12年(1635)に武家諸法度の改定により、参勤交代が制度化された後は、
奥州道中の一部を兼ねる日光道中は、奥州や下野の多くの大名の公用路ともなりました。

 将軍の東照宮参詣には、千住を通らず本郷追分から岩槻を通る御成道が使われ、
また、朝廷から毎年東照宮に派遣される使者は、中山道を経て、
倉賀野から下野を通る例幣使道を使いました。