はじめに 徳川家康が慶長7年(1602)に江戸に幕府を開き、江戸を中心とした交通政策を始めました。 そして、慶長8年(1603)に日本橋が架けられました。 五街道の全てが日本橋を起点にしていて、日光道中も同様で、 当初、奥州方面への街道は多種あったようですが、 江戸と日光を結ぶ道が重要とされたのは、 日光東照宮への参詣は、大名だけでなく庶民にも許されていたので、 寛永12年(1635)に武家諸法度の改定により、参勤交代が制度化された後は、 また、朝廷から毎年東照宮に派遣される使者は、中山道を経て、 倉賀野から下野を通る例幣使道を使いました。 |