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第22日 馬籠〜落合〜中津川〜大井(恵那)(その1)
         
宿間の距離 4.5km+3.9km+9.8km    10.06.01

              歩いた距離 22km

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 朝食をとって、出発する。

 泊まった白木屋は、食堂をやっていて、
部屋を泊まり客に提供しているようだ。

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 旧中山道の7号線を横切る。

 角に馬籠宿の大きな標柱が立っている。

naka22-3.JPG 「YAMAGUCHI」と書かれたマンホールがある。
 越県合併前のこのあたりは山口村で、
その村花の「ムラサキツツジ」と村木「ヤブツバキ」を
デザインしたものという。

山口村:マンホール

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 まっすぐ進む。

 すぐに、町並みがなくなる。

 丸山の坂と書かれた道標があり、
馬籠城跡の説明板がある。

 戦国時代の馬籠は、武田信玄の領地であったが、武田氏滅亡後は織田信長を経て、
豊臣秀吉傘下の木曽義昌の治めるところであった。
 天正12年(1584)小牧長久手の戦いで木曽義昌は馬籠城を
藤村の先祖にあたる島崎重通にまもらせた。
 家康軍は飯田の菅沼定利・高遠の保科忠正直・諏訪の諏訪頼忠に木曽攻略を命じた。
 三軍は馬籠城の北側に陣を敷いたので、島崎重通は妻籠城に逃れたという。
 そのため、馬籠集落は戦火を免れたという。
 関ヶ原の戦いの後、木曽は家康の直轄領となったが、後に尾州徳川家の領地となった。

naka22-5.JPG naka22-6.JPG  庚申塔や馬頭観音が
集められている。
 その中に、
3面の馬頭観音がいる。

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 諏訪神社がある。参道が長く、静かで清らかな神社である。

naka22-9.JPG  鳥居の横に島崎正樹翁記念碑が立っている。

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 農村の道を歩く。

naka22-11.JPG naka22-12.JPG  農家の車庫の奥に、
一段高く
籠と荷を背負った
模造の馬がおいてある。
 大八車の車輪もある。

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 坂を上る。

 下に落合の集落が見え、
湯舟沢川にかかる中央自動車道の赤い橋も見える。

naka22-14.JPG  そこに、
子規の「桑の実の 木曽路出づれば 穂麦かな」の
句碑がある。

naka22-15.JPG  なおいくと、十曲峠である。民宿「新茶屋」がある。

naka22-16.JPG  庭園の中に、
芭蕉の「送られつ 送りつ果ては 木曽の穐」の
句碑が立っている。

naka22-17.JPG  ここが信濃と美濃の国境ということで、
「是より北 木曽路」の碑が立っている。
 昭和32年(1957)に立てたもので、
贄川宿の手前にあった
「是より南 木曽路」に対になるものである。

naka22-19.JPG naka22-20.JPG  新茶屋の一里塚がある。
対になっていて、
榎と松が植えられている。
 日本橋より83番目の
一里塚である。

naka22-21.JPG  信濃・美濃国境の石柱が立っている。

naka22-18.JPG  美濃の国に入る。

中津川:マンホール

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 石畳道である。

 「平成17年中津川は長野県山口村との
越県合併により新中津川市として誕生した。
 この場所から旧長野県境まで120m間を
合併記念事業により、
落合石畳遊歩道として整備した」
と案内板にある。

 落合の石畳道である。

naka22-23.JPG  「山のうさぎ茶屋」がある。

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 石畳が終わると医薬寺がある。
 山中薬師と呼ばれ、三河の鳳来寺、御嶽の蟹薬師とともに日本の三大薬師の1つである。
 虫封じの薬師として有名である。

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 境内に枝垂れ桜、アヤメがある。

 「梅が香に のっと日の出る 山路かな」の
芭蕉句碑がある。

 下り坂を下りて行く。落合川を下桁橋で渡る。

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 落合宿に入る。

 石畳道をデザインした
「おちあい」地区のマンホールがある。

落合:マンホール

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 宿の家並みである。

 上の枡形の道である。

naka22-29.JPG  上町の常夜灯がある。
 宿場通りには、秋葉様の常夜灯が4基あり、
家ごとに割りあてられる当番により、
火をともし防火を祈ってきた。
3基は明治の道路整備の時よそに移され、
この1基だけが往時の姿をとどめている。

naka22-30.JPG  くみ上げ井戸に
立派な木造の屋根がかけられた水飲み場がある。

naka22-31.JPG  本陣跡がある。
 この門は文化9年(1804)の落合宿の大火のあとに
加賀前田家から贈られたものである。

naka22-32.JPG  助けあい大釜がある。
 直径1.5m以上もあるような大釜に屋根がかけてある。
 昔は寒天の原料(テングサ)を煮るときに
使われたものである。
 落合宿祭にはこの鍋で「千人キノコ汁」をつくり、
多くの人に振る舞う「ふれあい」活動を推進してきた。

naka22-33.JPG  善昌寺の「門冠(もんかぶり)の松」がある。
寺の山門を覆っていた松だが、
道路拡幅で寺は移転したが、
松はそのまま残り路上の松となっている。

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 左へ曲がり、跨道橋である「おがらん橋」で国道19号線を渡る。

naka22-36.JPG  愛宕神社がある。
 このあたり、義仲の妻巴の兄弟である落合五郎兼行の
美濃路の押さえとして築いた館跡であるという。

naka22-37.JPG naka22-38.JPG  横手橋を渡る。
 橋脚が道標になっている。
 「東 木曽・東京方面、
西 美濃・京都方面」

naka22-39.JPG  坂を上り、与坂集落を通る。

naka22-40.JPG  連子格子の家の前に与坂の立場跡の碑がある。

naka22-41.JPG  「おいでんさい」と書かれ、
風流踊りがデザインされた中津川のマンホールがある。

中津川:マンホール

naka22-42.JPG  子野(この)の一里塚跡の碑がある。

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 覚明神社がある。
 覚明は木曽御岳講の開祖。
 御嶽山は、江戸時代の中頃までは百日間の厳しい修行をした人だけに許される山であった。
それを、軽い修行で誰でもがのぼれる山にしたいと努力した人である。
 境内に、多くの石碑が立っている。
 叩くとすんだ音を響かせる一命石があるという。
同じ中山道の松井田と坂本の間に、茶釜石があったことを思い出した。
叩くと空茶釜のような音がするという。

naka22-45.JPG  中津川の町が下に見えるようになる。

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 どんどん坂を下る。

 子野の集落がある。

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 道を覆うような大きな枝垂れ桜があり、その木の下が石仏群のある広場になっている。
文政元年(1822)の南無阿弥陀仏とヒゲ文字でかかれた大きな石仏や
自然石の大きな庚申塔がある。

naka22-50.JPG  珍しい石仏がある。
 一石に後背をしょった7体(?)の地蔵である。
 それぞれの姿が異なっている。
 かつて東海道の藤枝で一石三段6地蔵があり、
甲州道中の善光寺で一石50仏の石仏を見たことを思い出した。

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