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第21日 野尻(十二兼)〜三留野〜妻籠〜馬籠(その1)
           
宿間の距離 10.1km+5.6km+9.8km  10.05.31

                 歩いた距離 23.6km

naka21-1.JPG  朝食の前に、木曽福島のいわや旅館の辺りを散歩する。

naka21-2.JPG  七笑酒造の先に薮浦清水がある。
 山村代官の家老であった千村家の湧き水で、
3段になっていて、1段目は飲み水に、
2段目は野菜洗いに使い、
町の人にも使えるように開放したという。

naka21-3.JPG  木曽川の両岸に、木造3階建ての旅館や民家が建っている。

naka21-4.JPG  木造づくりの行人橋歩道橋で川を渡ると、
山村代官下屋敷がある。

naka21-6.JPG  山村氏は、関ヶ原に向かう徳川秀忠の先陣を
承って活躍し、明治2年(1869)までの274年間
木曽谷の徳川直轄地を支配する代官となり、
福島関所をまもってきた。
 明治維新後は、
それまで山村家が担ってきた政務を取り扱う
郡役所が設置された。

naka21-7.JPG  そこに福島小学校がある。
 校門脇に二宮尊徳像がある。
 子どもが三々五々登校してくるので、
いつもこんなに早く登校しているのかと聞いたところ、
多くの子どもが7時過ぎには学校にきて、
皆と遊ぶのだということである。

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 大手橋で木曽川を渡ると、商店街に出る。

 旅館に帰り、朝食をとる。

naka21-10.JPG  ゆっくり町を歩いて、木曽福島駅から列車に乗り、
昨日の十二兼で下車する。

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 木曽川を右に見ながら歩く。

 柿其(かきその)橋があり、
白い岸と青い流れの木曽川がきれいだ。

naka21-12.JPG  明治天皇が明治13年(1880)に
巡幸されたのを記念して、
小休所跡と御膳水の碑が立っている。

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 国道に合流する。

 JRと並行していて、木曽川がせまっている。

 羅天から与川までが、岐蘇路安見絵図に
「木曽のかけはしよりは危うし」と
書かれるほどの難所であった。

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 左の旧道を行き、JRのガードをくぐり、登る。

 19号線と木曽川が下に見える。

 対岸の集落も見える。

naka21-15.JPG  明治26年(1893)の自然石の馬頭観音がある。

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 三留野に入る。

 通りの2階屋は2階が低く、出梁(だしはり)造りである。

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 本陣跡は、町の天然記念物の枝垂れ梅と明治天皇御膳水の碑があるだけである。

 脇本陣も、普通の民家に変わっている。

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 急な階段を下る。
 南木曾小学校への階段の半ばで右折し、家と家との間の路地を通る。
標示がはっきり出されているので、民家の軒先を通ることができる。

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 少し行くと、下に南木曽駅がみえ、そのむこうの桃介橋が見える。
 桃介橋は、木曽川の水力発電開発に力を注いだ大同電力(社長が福沢桃介)が
読書発電所建設の資材運搬のために架けた橋である。大正時代の長大吊り橋である。

 南木曽駅前の国道沿いには、商店も多くあるようだ。

 トンネルの上を越える。下の公園にはD51が展示されている。

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 緑の中を歩く。自然石に中山道と彫った道標がある。

 この辺りは道標が多くあり、安心して歩くことができる。

naka21-28.JPG  神明神社がある。
 昭和41年(1966)の南木曽災害後に
再建したものである。
 唐草模様の「新しょうわ」狛犬がいる。
 右アには子狛を、左ウンは玉を持っている。

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 境内に、こけむした尾が立ち、耳がたれた狛犬がいる。
 右アの口の中に玉がある。左はウンである。

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 「ふりそでの松」の説明がある。
 木曽義仲が弓を引くのに松の木が邪魔になるので、
巴御前が袖を振って倒したというものである。
 松食い虫の浸食により伐採され、現在は境内の水舟になっている。

naka21-33.JPG  階段を下りると「かぶと観音堂」がある。
「かぶと観音」は、平安末期木曽義仲が以仁(もちひと)王や
源頼政の平家打倒の呼びかけに応じ、
治承4年(1180)に挙兵して北陸道を京都に向かう際、
木曽谷の南の押さえとして妻籠城を築き、
その鬼門に当たる神戸に祠を建て、
義仲の兜に納められた守り本尊の観音像を
納め祀ったのがおこりと伝えられる。
 堂内に木造の観音像が安置され、
境内には自然石の兜を持った観音像が立っている。

 神戸(合戸)集落がある。昔、あんころ餅で有名であったという。

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 戦沢橋を渡る。

 石畳道がある。

 「せん澤」の自然石でできた道標がある。

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 上久保(うわくぼ)の一里塚がある。江戸から78里の塚。
 南木曽町には4か所の一里塚があったが、原形をとどめている唯一のものである。 

naka21-38.JPG  良寛歌碑がある。
 「この暮れのもの悲しきに
 わかくさの 妻呼びたてて 小牡鹿鳴くも」。

naka21-39.JPG  杉並木のきれいな道である。

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 蛇石(へんびいし)の道標があり、蛇の頭のような「蛇石(へんびいし)」がある。

naka21-42.JPG  山道を行く。

naka21-43.JPG  妻籠城跡の碑があり、道標になっている。

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 山道を行くと道沿いに家がぽつぽつと並んでいる。

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 田んぼの前にローマ字の表記もある
木造の道標があった。
 妻籠まで0.5kmだ。

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naka21-49.JPG  鯉ヶ岩がある。説明板によると、
明治24年の美濃の大震災で移動し、形が変わったという。

naka21-50.JPG  ちょっとした空き地に「妻籠口留番所之跡」の碑と
説明板がある。
江戸時代の初期、中山道を行く人々を監視していたという。
妻籠御関所ともいわれていた。

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