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第18日 奈良井〜薮原〜宮ノ越(原野)
(その1)
宿間の距離 5.5km+7.5km 10.05.10
歩いた距離 18.3km
朝食前に、泊まった伊勢屋の中と奈良井の宿を散歩する。
伊勢屋は脇本陣跡で下問屋も兼ねていた。
今は民宿で、2階の客間は、きれいに貼られた障子を通しての朝の光がすがすがしい。
また、漆塗りの机、押入や古い諸道具が清楚に置かれている。
1階のロビーからの吹きぬけ部分があり、太い柱の木組みが見えるのも面白い。
中庭は手入れされている。
玄関先には、灯籠型の看板や木製の長いすが置かれてあり、
草花が植えられた鉢が置かれて、ゆっくりした旅籠の雰囲気がでている。
猿頭の小屋根があり、2階からくさりでつり下げられているのがよくわかる。
通りに出ると、白木の新しい水場がある。
生活用水の確保や防火のために
豊富な沢水や湧き水を利用して造られている。
奈良井には6か所の水場があるという。
手塚家住宅(上問屋史料館)がある。
うるし工房の松坂屋には
赤い塗り櫛の看板がかかっている。
宿の中ほどに、
7間間口で総二階の大きな旅館の徳利屋がある。
徳利屋は江戸時代後期に旅籠として
建てられた町家で、本陣、脇本陣とは異なって、
賑やかさと華やかさを持っていたという。
JRをガードで潜り奈良井川に近づくと、木曽の大橋がある。
太鼓橋で、橋脚を用いない木橋では日本一の大きさである。
木の組まれている様子がよく見える。
朝食を取り、ゆっくり出発する。
宿の中ほどで、道が鍵の手になっているのがわかる。
宿の入口も鍵の手であったというが、はっきりわからなかった。
淨龍寺がある。
屋根に裾の短い雀踊りが飾られてある。
中村屋がある。
塗櫛の創始者中村忠吉の分家にあたる櫛問屋である。
もう開店営業している才田屋漆器店がある。
高札場が新しく再建されている。
庚申塔が集められている。
鎮(しずめ)神社がある。
12世紀に中原兼造等が鳥居峠に建立し、
奈良井氏が現在地に移したと伝えられる。
昭和8年(1933)の「尾立ち」の狛犬がいる。
右アは玉を、左ウンは子狛を持っている。
キバがながく、口が朱に塗られているのが異様である。
石工は平澤茂である。
神社の横に、楢川歴史民俗博物館がある。
街道は、宿を出て、
道のカーブしたところにある階段から山道に入る。
入口に道標が立っている。「右上 鳥居峠、左下 奈良井宿」とかかれている。
少し行くと、石畳道になる。600メートル続いている。
木々の間から奈良井宿が下に見える。
葬沢(ほうむりさわ)がある。
天正10年(1582)、木曽義昌が武田勝頼を迎撃し、
大勝利した鳥居峠の古戦場である。
その時、武田方の戦死者によって
この谷が埋もれたという。
中の茶屋跡がある。
残った建物に看板がかかっている。
菊池寛の「恩讐の彼方に」に鳥居峠の場面が出てくるが、
この小屋の壁にその説明がかかれてある。
細い道で、電線の上に木が倒れていて、倒れた電柱もある。
電線に触れないように注意して前へ進む。
峠の茶屋跡がある。
建物はがっちりしているが、営業はしていない。
山水を樋で引いている水飲み場がある。
ここからも奈良井宿が見下ろせる。
少々霞んでいるのが、残念である。
鳥居峠に到着する。
この峠は、木曽川と信濃川の上流である奈良井川の分水嶺になっている。
戦国時代、木曽義元が鳥居を建て、御嶽権現に戦勝祈願したところである。
雪が白く光った御嶽山が小さく見える。
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