もどるfoot_linehidari.gif    iconhoum1.gif   icon2133.gif foot_line.gif すすむ

第15日   和田〜下諏訪 (その1)
              
宿間の距離  19.1km    09.10.17
                     歩いた距離  23.4km    

nakasen15-1.JPG

 朝食の前に、昨日はゆっくり見られなかった宿の中を散歩する。

 泊まった本亭旅館は、名主で庄屋を兼ねていた家で、
門は瓦葺きで草が生えて古くなっているが、りっぱなものである。

nakasen15-2.JPG nakasen15-3.JPG
 酒、煙草や郵便切手を
扱うよろず屋がある。
 本ウダツ
上がっている。

nakasen15-5.JPG nakasen14-58.JPG  「かあちゃんの家」
がある。
昔、旅篭だった建物を
お店に仕立て、
「農家レストラン」
として営業している。

nakasen15-6.JPG  りっぱな鐘楼門のある信定寺がある。
 和田城主の大井信定をまつった寺で、
日光例幣使は和田に宿泊してこの寺を詣でたという。

 朝食後、宿を出発しバスに乗り、昨日歩いておいた「扉峠口」までいく。

 「ドライブイン和田宿」の女将さんが顔を出してくれて、挨拶をかわした。

 142号線を先に進む。

nakasen15-7.JPG nakasen15-8.JPG

 唐沢で
右の旧道をいく。
 この辺りには
五軒の茶屋があり、
茶屋本陣も
あったという。

 藁葺き屋根の
民家
がある。

nakasen15-9.JPG

 142号線に合流する。

 左側に、唐沢の一里塚がある。

 右に観音沢分教場跡の碑が立っている。
 人家が一軒もない所なのに、さすが長野県は教育熱心と感心する。

 「男女倉口 標高1100m」の案内板がある。ここで右の美ヶ原高原方面に進む。
 和田峠観音坂上り口に道標や説明板がたっている。

nakasen15-10.JPG nakasen15-11.JPG

nakasen15-14.JPG  ここで142号線と分かれ、観音坂を進む。
 かなり急な山道になる。

nakasen15-12.JPG nakasen15-13.JPG  三十三体観音があり、
説明板がある。
「峠の難所を往来する
人馬の無事を祈って
祀ったものである。
かつて山の中腹に
あったものを移した、
千手観音13体、
如意輪観音4体、
馬頭観音10体などである」。

nakasen15-15.JPG

 しばらく行くと、142号線に出て、少しの間国道を歩く。

 国道に面して、復元された茅葺き屋根の「接待茶屋」がある。
「江戸の呉服町の豪商かせや与兵衛が中山道の旅の難儀を
幾分でも助けようと寄付し、文政11年(1828)に
設置された施行所である。
 11月から3月まで峠を越える旅人に粥と焚き火を、
牛馬には年中小桶1杯の煮麦を施行した」という。

nakasen15-16.JPG  道をはさんで「旧愁之茶屋」がある。
廃業しているようで荒れるにまかせている。
ここがドライブイン和田宿の女将さんが経営していた
茶屋であろうか。

 近くに「殉職警察官近藤谷一郎巡査の碑」がある。
「明治22年、上田警察署丸子分署に勤務していた近藤巡査は窃盗犯を下諏訪分署へ護送する途中、
犯人に巡査が所持する剣で腹部を切られ殉死した」という。

 その先の道ばたに「近藤谷一郎巡査殉職の地」と書かれた小さな石碑がある。

nakasen15-17.JPG nakasen15-18.JPG

 再び山道を先に進む。

 小さな木造の避難小屋がある。

 そこから少しの間、石畳道になる。

 渓流にかかる木の橋をわたりながら、狭い山道を進む。

nakasen15-19.JPG nakasen15-20.JPG

nakasen15-21.JPG  広原の一里塚がある。
 東側の塚だけが残っている。

 青少年旅行村の建物があるが、閉鎖しているようである。

 「和田峠遺跡群」の説明板がある。
「旧石器時代の石器の材料である黒曜石は和田峠周辺に多く産出されている。
さらに後期旧石器時代の遺跡群が形成されている」。

 少しの間142号線に合流する。

nakasen15-22.JPG  ドライブイン「東餅屋」があるところにくる。
 「東餅屋」の説明板がある。
「標高1531メートルの和田峠は急坂が多く、
降雪の際はもとより、雨や霧の日も旅人は難渋した。
 この東餅屋では5軒の茶屋が名物の餅を売っていた。
 寛永年間(1624〜43)より、
1軒に一人扶持(1日玄米5合)を
幕府から与えられ、難渋する旅人の救助にも
あたっていた」。
 ドライブインには「力餅」、
「うどん」などと書かれたのぼりが出ているが、
昼食にはまだ早いので、素通りする。

nakasen15-23.JPG  国道を越え、石畳道の旧道に入る。

 旧道はビーナスラインを横切るところが何カ所かあり、
はじめのところはトンネルをくぐって渡れるが、後は中山道道標に従って、命がけで渡る。

nakasen15-24.JPG nakasen15-26.JPG nakasen15-25.JPG

 道がなだらかになり、草地が広くなった。道標や説明板がある。ここが古峠である。
「明治9年(1876)、東餅屋から旧トンネルの上を通って西餅屋の下へのモミジ橋新道が
開通したため、この峠はほとんど通る人はなくなり、古峠の名を残すのみである」。

 中山道の和田峠頂上に到着。ここで、宿で作ってもらった「おにぎり」弁当で昼食。

nakasen15-27.JPG nakasen15-28.JPG nakasen15-29.JPG

nakasen15-30.JPG  「御嶽山坐王大権現」、「本尊大日大聖不動明王」
大きな自然石の石仏がある。
 ここが「御嶽遙拝所」であるが、
ガスがかかっていて、御嶽山は見えない。

nakasen15-32.JPG  賽の河原がある。
 小石が積まれている、その上には石仏が置かれてあった。

nakasen15-31.JPG  曇ってきて、寒くもなってきたので、
弁当を食べるとすぐ峠を下る。

もどるfoot_linehidari.gif    iconhoum1.gif   icon2133.gif foot_line.gif すすむ