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第14日   芦田〜長久保〜和田 (その2)
              
宿間の距離  12.9km+3.5km    09.10.16 
                    (歩いた距離  21.0km)     

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 大門川を落合橋で渡る。

 大門川に合流する依田川を和田橋で渡る。

 依田川に沿って142号線を進み、
道が二股に分かれるところで、右にいく。

 「国史跡 歴史の道中山道」の標柱が立ち、自然石の石碑には「水明の里」と書いてある。
 広い芝生の中に石塔が集められていて、青面金剛の道祖神などが立っている。

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nakasen14-40.JPG マンホールには「木曽海道 和田」と書いてある。

長和町和田:マンホール

nakasen14-41.JPG  なお進むと、カヤ葺きのバスの待合所がある。
 白壁で格子窓を持った本格的な建物である。
 このあたりのバス停の待合所はそれぞれ嗜好をこらしていて、
おもしろい。

nakasen14-42.JPG  大きな自然石に文字だけでかかれた馬頭観音が立っている。

nakasen14-43.JPG  「みみず」の碑がある。
 男女とおもわれるみみずのレリーフの上に
鳥居の絵が描かれている。
 みみずは、土壌動物の代表で、植物がよく育つ土をつくるので、
近隣に住む人たちの希望により祀られた。
「むかし大雨の後、みみずが群をなして死んでいた。
その年ははやり病がでて困ったそうで、
たたりだとしてお堂を建て、霊を慰めたのが始まりだそうです」。

 湧き水が石の水受けに引かれているていて、「のみ水」と表示された石柱が立っている。
 その横に木のベンチが置かれていて、ベンチの上ににペンキで
「冷たい美味しい名水黒曜水で旅の疲れを癒してください」と書かれている。
 また側面には、「これより北へ3.9km 長久保宿、南へ3.5km 和田宿」とも書かれている。

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nakasen14-46.JPG nakasen14-47.JPG  自然石の石碑と並んで、
「三千僧接待」の碑がある。
この碑は、「慈眼寺境内に
建立されていたものだが、
寛政7年(1795)この地に移された。
諸国遍歴の僧侶への接待碑で、
供養接待を発願して見事結願し、
一躍二千を増したものである。
一千僧の一の字を三に改刻した跡が
歴然としている」。

nakasen14-48.JPG  街道はつづいていて、白壁の蔵がある農家が
おちついた雰囲気をつくっている。

nakasen14-49.JPG  道筋には、石の「招き猫」、「青面金剛」、「獅子舞の碑」
「馬頭観音」、「庚申塔」等々が立っている。

nakasen14-51.JPG  若宮八幡宮がある。
 ここは、和田城主大井信定が
天文23年(1555)に武田信玄と合戦し、
一族郎党ことごとく戦死し、
その父子の首級が埋葬されたところである。

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 江戸から49里目の一里塚跡の標柱が立っている。

 旧道を行く。

 自然石の「是より和田宿」の案内石があり、和田宿に入る。

 すぐ、和田小学校和田中学校が並んで立っている。
 山裾の青空の下、木造の校舎がおとぎ話のようだ。

 学校の前に和田神社の鳥居が立っている。神社はかなり奥にある。

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nakasen14-55.JPG  道を先に行くと、ごく小さな茅葺きの八幡神社がある。
 和田城主の大井信定が城の鬼門除けに建てたものである。
 拝殿と覆屋を併合した入母屋造りで珍しい建物である。

 追川橋を渡ると、和田宿で、旅館かわち屋がある。今は「歴史の道資料館」になっている。
 出桁造りで格子戸のついた宿場建築の代表的な遺構である。
 文久元年(1861)の大火で焼失し、再建されたものである。

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 冠木門がある本陣跡がある。
 この本陣も文久元年の大火で焼失したが、同年の皇女和宮の東下にそなえて、
ただちに再建されたという。
 明治期に他の場所に移築され、現在の居室棟の建物と冠木門は平成元年に復元図を元に
再建されたもので、和宮御婚下の「御入門」は新しい道の関係で旧位置とは違う場所に
建てられている。

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nakasen14-61.JPG  きょう泊まる本亭旅館につく。
 庵看板が出ていて宿屋らしい雰囲気の建物である。

 明日の予定は、和田峠の上り下り5里を含めて、下諏訪まで長丁場であるので、
きょうの内に少しでも歩いておこうと考え、
宿に荷物を置かせてもらい、和田峠の方に歩きを続ける。

nakasen14-62.JPG  バス停「上町中」のところに、「高札場跡」の説明板がある。

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 「鍛冶足」の案内柱があり、左の道を行く。

 馬頭観音、道祖神、句碑、双体道祖神がある。

nakasen14-64.JPG  142号線を斜めに横切ったところに、
江戸より50里の鍛冶足の「一里塚跡」の石碑がある。
 「左 松沢歩道、右 諏訪街道」と書かれた道標や
「中山道道標」などがある。

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 細い松沢歩道を行く。

 「大出」のバス停は茅葺き屋根である。

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 街道は、落ち着いた民家が並んでいる。

 少し行くと、142号線に合流し、山間の道になる。

 「杉の屋」というドライブインがある。
 ここは昔木曽ヒノキを輸送する中馬牛稼ぎの宿泊所があった「牛宿跡」であるという。
 ドライブイン入り口の木立の下に「寛政の双体道祖神」がある。

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 なお行くと、「ドライブイン和田宿」がある。
 その前に藁葺き屋根のバス待合所がある。扉峠口という。
 暗くなりかけたので、ここからバスに乗って和田宿へ引き返そうと決め、
待合所に座って待っていると、ドライブインの奥さんが出てきて注意してくれた。
 バスの通る側にいないと通過してしまうと言われ、
道の反対側のバス停前で立って待つことにした。
 バスが来るまでに10分以上あったが、ドライブインの奥さんがバスを待っている間、
いろいろ話をしてくれた。
 このドライブインは今は閉店しているという。
 まだご主人が存命中はかなり流行っていて、子どもや雇い人数名いて賑やかだったとのこと、
 以前は和田峠の途中で茶屋をやっていたことなど話してくれた。

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 やっとバスが来て、和田宿にもどる。もう、真っ暗になっていた。

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