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第13日   岩村田〜塩名田〜八幡〜望月〜芦田 (その2)
                   
              
宿間の距離  5.6km+2.6km+3.7km+5.2 km 09.10.15 
                     歩いた距離  23.5km     

nakasen13-39.JPG nakasen13-38.JPG 望月の牧の馬を
追い集めたことからついた
地名といわれる
『御馬寄(みまよせ)』に入る。

nakasen13-40.JPG  道は街道らしい曲がり方で、黒塗りの民家が目につく。

nakasen13-41.JPG  短い区間、右に入る脇道が旧中山道である。

nakasen13-42.JPG  道の右側に、浅間山を背景にして、大日如来像がある。
 そこに、芭蕉の「涼しさや 直に野松の 枝のなり」の句碑
立っている。

nakasen13-43.JPG  その先、左に御馬寄の一里塚跡がある。
 多少こんもりとしていて、石碑と案内柱が立っている。

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 1qほどで八幡(やわた)宿に入る。

 長屋門がある庭木の手入れされた屋敷がある。

 地名の由来となった八幡神社がある。
 神社の前の道幅が不自然に広くなっている所が枡形の跡という。
 八幡神社は「当時、御牧7郷の総社として7郷住民総発起の形で建立された」ことが考えられる。
 また、「吾妻鏡に、佐久八幡宮御前二十騎とあるを見ても、
当時武将の崇敬は厚かったことが偲ばれる」、と由緒書きにある。

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nakasen13-47.JPG  石橋を渡って境内に入ると随身門がある。
 建立は天保14年(1843)で、門の両脇に、
衣冠束帯に、剣と弓を持った武官の神像がある。

 境内にある旧本殿の高良社は、国の重要文化財である。
 さすがに建物の周りの彫刻がすばらしい。

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 昭和9年(1934)の
「はじめしょうわ」狛犬がいる。
 右からア・ウンで、
石工は高瀬村の中山和雄である。

 境内に双体道祖神がある。

nakasen13-52.JPG  本陣跡があり、当時の表門が残っている。

nakasen13-53.JPG  「八幡入口」というバス停の所から少しの間、
右の脇の細い道が旧中山道である。

nakasen13-54.JPG  身の丈より大きな自然石に、
文字だけ書かれた馬頭観世音がある。

nakasen13-55.JPG  142号線に合流するところに、
「中部北陸自然歩道」の道標「八幡宿」の
案内柱
が立っている。
 写真は合流地点より振り返って撮っている。

nakasen13-56.JPG  142号線沿いに
「手づくりくまさん」という食堂を見つけ、昼食。

nakasen13-57.JPG  また信号「百沢東」で、右の細い旧道を行く。
 信号「布施温泉入口」で142号線を渡り、
道を下る旧道をいく。

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 「牧布施道標」の案内柱と「元禄の道標」といわれる、
元禄10年(1697)の道標がある。
 「右仲仙道」と書かれていている。

 

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 「望月町教育委員会」の名が入った「中山道道標」がある。

 望月町は今は佐久市に合併されているが、
馬の絵と「もちづき」と書いてあるマンホールがある。

旧望月町:マンホール

nakasen13-60.JPG  このあたりの旧道は細い草道であったりするので、
ところどころに設置されている「道標」に従って行く。

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 上り坂になる。

 望月宿と書かれた新しい石の灯籠がある。

 「望月城跡」への案内板もある。

nakasen13-62.JPG  山道の途中に瓜生坂の一里塚がある。
 北方の塚は道で削られているのでわからないが、
左側の南方の塚は石碑や説明板があるので、
かろうじてそれとわかる。

 「中山道瓜生坂」の石碑「百万遍念仏塔」がある。
 百万遍念仏塔は元文元年(1736)のもので、一つの石に2つの仏と文字が書かれている。
 隣に立ち姿の石仏がある。

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 瓜生峠の頂上である。

 望月の宿が眼下に望まれる。

 道標に従い、草道を下って行き、国道脇の細い舗装された急坂を下る。

 国道に出る手前で右の細い坂道を行く。

 長坂の石仏群がある。はっきりした彫りの双体道祖神や、赤い色づけ残る馬頭観音がある。

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nakasen13-69.JPG  鹿曲川を長坂橋で渡る。

nakasen13-70.JPG  道路に書かれた白線に従い、少し坂を上って右折すると、
望月の宿に入る。

 連子格子、白壁の土蔵の家木造三階建て家並みが続く。
 落ち着いた宿の雰囲気が残り、家毎に屋号や店の名の入った看板がかかっている。

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 本陣跡に、漆喰造りの望月歴史民俗資料館がある。門は古いものだが、建物は新しい。

 その前庭に双体道祖神がある。肩を寄せ合っているものと酒を酌み交わしているものがある。

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nakasen13-77.JPG  水割場石がある。
明治10年代に水争いが起こり、その結果「蓼科山から引いた用水を、
全水量の九分を布施村(旧望月町布施)へ流し、
一分を五郎兵衛新田村(旧浅科村甲)へ分水する」ため、
9対1に細工した石の装置である。

nakasen13-78.JPG  馬や牛などを止めるために使われた「駒つなぎ石」がある。
「馬には動かせないが、人が持てる重さになっている」という。

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 連子格子ウダツの上がった鷹野脇本陣跡がある。

 庵看板がかかった叶屋がある。

 その先に、脇本陣で屋号が大和屋の真山家屋敷は重要文化財である。
 2階は白壁の格子窓である。出桁造りであり、格子戸の1階の全面が奥にひかれてあり、
十分作業ができるほどのたたきになっている。
 真山家屋敷は江戸時代に問屋と旅籠を兼ね、幕末には名主を勤めていた。

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nakasen13-83.JPG  大きな下駄を看板にしている店がある。

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