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第13日   岩村田〜塩名田〜八幡〜望月〜芦田 (その1)

              宿間の距離  5.6km+2.6km+3.7km+5.2 km 09.10.15 
                     歩いた距離  23.5km     

 今回は、岩村田から芦田、和田で2泊して下諏訪まで歩く予定である。
 上野で長野新幹線に乗り、佐久平で小海線(八ヶ岳高原線)に乗り換えて1駅、岩村田で下車する。  

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 岩村田交差点にもどる。

 岩村田町道路元標がある。

 中山道はここを右折した9号線の道だが、
その先に和泉屋という味噌の製造販売をしている商店がある。
 瓦葺きで白漆喰の新しい建物である。入口の前には大きな味噌樽が置いてある。
 岩村田は信州味噌発祥の地といわれているらしい。

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 中山道はアーケードがかかった古い商店が並ぶ道である。
 通りの右側に蔵づくりの空き商店を利用した、
「おいでなん処」という岩村田宿の観光案内所がある。

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 相生町の交差点に「中部北陸自然歩道」の道標があり、塩名田方面に右折する。
 この細い道154号線が旧中山道で、左に「佐久甲州街道分去れ」の道標がある。

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 右に西宮神社がある。
 自然石に文字が彫られただけの道祖神双体道祖神がある。

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 JR小海線を踏みきる。
 御獄神社がある。祠も傾きかけている。

 左に少し入ると、若宮八幡神社がある。
 参道に灯籠が立っている。その火口に紙が貼ってあり、「五穀豊穣」と願いごとが書かれている。
 もう一方には「今月今夜」とあるが、どういう意味なのだろうか。
 大きな木々の中の境内に、庚申塔や馬頭観音が立っている。

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 街道にもどって、先に進む。

 道がカーブして、左右にわかれるところに、相生の松がある。
 男松と女松の幹が自然に合着したものであるが、
かつてはここに休み処があって、皇女和宮も休まれたという。

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 右の道を道なりに行き、141号線を渡ると、比較的新しい住宅が多くなる。
 家の裏は稲田やリンゴ畑である。佐久平の駅の向こうに浅間山がよく見える。

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 諏訪神社がある。
 境内に石仏、石塔が多く立っている。
 そのうちに「『神と虫が合わせた』字に、養大神」と書かれた石仏がある。
 蚕に関係するものなのか。

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nakasen13-20.JPG  用水路があり、手入れされた庭木のある家が多い。

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 左の畑の中に岩があり、
その上に水準点や御獄碑などの石碑が立っている。
 ここが塚原岩屑か、何の表示もない。

 畑の向こうには八ヶ岳連峰がかすんで見える。

nakasen13-22.JPG  右側の刈り取りが終わった田の向こうに、
浅間山がくっきりと見える。

 旧道は左に分かれていく道で、少し行くと再び合流する。

 その手前の細い川を橋で渡ると、長い石段の上に、駒形神社がある。
 創建は明らかでないが、「再建は文明18年(1486)と伝えられ」、重要文化財に指定されている。
 この地方はいわゆる「信濃牧」の地で、祭神には騎乗の男女二神像が安置されているので、
牧に関係した神社であるという。
 境内には、女陰と男根の石が祀られていて、子孫繁栄を祈っている。

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 154号線が、44号線(新中山道)に合流するところに、自然石の「塩名田宿」道標がある。

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nakasen13-26.JPG  このあたりは以前「浅科村」であったので、
その名をとどめたマンホールがある。

旧浅科村:マンホール

 塩名田の宿に入る。千曲川を前に一泊が必要であるとしてつくられた宿である。

nakasen13-29.JPG nakasen13-30.JPG  昔からの家には、
「釜鳴屋 てっぱ茶屋」、
「上羽屋 繭問屋」のような
木の看板が出ている。

nakasen13-31.JPG  本陣跡が残っており、
鬼瓦も大きい堂々とした建物である。
 「問屋本陣」の看板がかかっている。

nakasen13-32.JPG  「ウダツ」のあがった、白壁のきれいな酒屋がある。

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 宿は千曲川に向かって坂道を下る。
彫りが薄くなってしまった双体道祖神がある。

 その横に天保10年(1839)の十九夜塔がある。
「十九夜塔は、女性が集まって、
健康増進や出産の無事を祈念した行事があったことを示している。
穀雨(陽暦4月21日)の日を女性の遊ぶ日と決め、
年に一度の楽しみを確保したのであろう」と説明板にある。

nakasen13-34.JPG nakasen13-35.JPG  三階立ての家屋や
川魚料理の旅館などがあり、
「三階建て住居群」の説明板がある。

 千曲川にぶつかると「舟つなぎ石 千曲川船橋」の説明がある。
 「千曲川は近郷無類の荒川で、この地の人々は渡川を確保するために大変苦労した。
明治時代になると、130村による千曲川橋組合の維持・管理を続けることができなくなった。
そこで船橋会社をつくり、明治6年(1873)に船橋(9艘の舟をつないで、
そのうえに板をかけわたして橋としたもの)が架けられた。
その舟をつなぎとめたものが舟つなぎ石である」。
 中津橋で千曲川を渡る。

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