「日本武尊が東国平定の帰路に碓氷峠にて濃霧にまかれた時、
八咫(やた)烏の道案内によって無事峰に達することができたことより、
熊野の大神を祀ったと伝えられる」神社である。
境内の一角の明治天皇峠御小休所と書かれた石碑の前に、
「日本武尊 吾嬬者邪 詠嘆の処」と書かれた案内板がある。
「碓氷嶺にたった尊は雲海より海を連想され、走水で入水された弟橘比売命を偲ばれて
『吾嬬者邪(あづまはや)』と嘆かれた」という。
矢倉沢往還を歩いた時、足柄峠でも同じようないい伝えがあった。
石の風車がある。
「碓氷峠のあの風車 たれを待つやらくるくると」と追分節にうたわれている。 |