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第11日  坂本〜軽井沢〜沓掛(その1)
       (横川)        (ゆうすげ温泉)
          宿間の距離  12.7km+3.9km  09.09.27
               歩いた距離  25.8 km      11.04.26

 JR信越本線の終点横川駅で下車する。
 今回は、横川から軽井沢を通り、ゆうすげ温泉で1泊し、岩村田まで行く予定である。

 この日は、曇ったり小雨が降ったりの一日であったのが、残念であった。
 碓氷峠を登るときは、雨の準備をしていなかったので、足が滑って難渋した。
 また、途中で坂本方面の景色がよく見える「覗(のぞき)」で、見通しが悪かった。
 特に、峠の頂上にある熊野神社で狛犬の写真が撮れなかった。
 この狛犬は、私たちが今までに見た狛犬の中で最も古いものであり、
その形も特徴のあるものであった。

 このようなことから、もう一度碓氷峠には行かなくてはと思っていて、
ようやく翌々年の2011年4月26日にフォローをすることができた。
 軽井沢まで新幹線で行き、峠の頂上までタクシーで行き、
前回は寄らなかった「見晴台」を見て、
熊野神社の狛犬の写真を撮り、坂本に下るというコースをとった。
 今回の散歩記では、フォローで撮った写真を適宜使用したことをお断りしておく。

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 横川の駅では、
たまたま「旧中山道ウォーキング」の受付がでていて、
リュックを背負った人が多くいた。

 222号線(旧中山道)にで、街道筋を歩き始める。

nakasen11-2.JPG  右に横川茶屋本陣跡がある。
 1階は材木の桟がきれいで、
2階には長い手すりが造られている。
 現在も居宅として使われているようだ。
 この茶屋本陣は、
「この先にある碓氷関所を通る大名が、
旅の支度を正装に着替える場所」として
設けられたという。

 諏訪神社がある。長い石段の上に、木造の拝殿がある。境内に、双体道祖神がある。

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 碓氷関所跡がある。
もとは、平安時代に夜盗を取り締まるために碓氷坂に設けられたものであるが、
元和9年(1623)にこの地に移したものである。
石垣の上の門は、使われていた門柱や門扉をそのままに、復元されている。
「通行人がこの石の上に手をついて、手形を差し出し通行の許可を受けた」というおじぎ石
残っている。

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 碓氷峠鉄道文化村のディーゼルカーが客車をひいて、
橋の上を通過していった。
 その下のガードをくぐる。

 霧積川を矢ノ沢橋で渡る。

 薬師坂と書かれた石碑が立つ、細く急な坂を上る。坂の途中に薬師堂がある。
「元和9年(1623)碓氷関所が開設されて、通行取り締まりに厳しさが増し、
加えて碓氷峠が間近にひかえているために旅人は難渋を極めた。
そこで、無事通過の願いと感謝を込めてこの坂に薬師堂が建立された」。

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nakasen11-10.JPG  18号線(中山道)に合流する。
 左に入ったところに、白髭神社がある。
 由緒書きに
 「日本武尊が東国を平定し、この地にさしかかった。
その時山の神は白鹿に化け、尊の進路を妨げ、
濃霧が起こり、進退窮まった。
すると剣を持った白髭の老人が現れ、
白鹿を撃退したので尊は濃霧から脱出することができた。
尊は老人の霊験をたたえ、
景行天皇40年(240年)白髭神社を創立した」とある。

 こちらが寄り道をしながら、ゆっくり歩いているので、
「旧中山道ウォーキング」のパーティに追いつかれてしまった。

nakasen11-11.JPG  坂本宿に入る。大きな宿名の書かれた標示杭がある。
清潔な街並みである。

nakasen11-12.JPG  漆ぬりの連子格子の落ちついた民家がある。
 隣の民家との間に、
瓦葺きで白漆喰のウダツが上がっている。

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 本陣跡がある。
 上州櫓づくりである。
 明治8年(1875)、
ここを仮校舎にして坂本小学校が開設されたという。

 白壁の塀がきれいに残されている脇本陣跡の建物がある。

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 昔の旅籠のおもかげを残している「かぎや」がある。
庵看板がでている。

「金嶋屋」「叶屋」「中村屋」など
昔の屋号を看板に書いて出している。

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 この辺りには、
道路に対して斜めに建てられている家がある。
 このように「はすかい」に建てられた理由は、
「鬼の出入りする不吉の方角丑寅(うしとら)をよける
鬼門よけ」で、もう1つのわけは
「峠を越えて侵入してくる敵軍に対して、
はすかいに造られた三角屋敷に立てこもり迎え撃つという
軍事的な目的」であるという説がある。

 上木戸跡の標示があり、宿から外れる。

nakasen11-16.JPG nakasen11-17.JPG  大きな自然石の芭蕉句碑がある。
 「ひとつ脱て うしろに負ひぬ 衣かへ」

 八幡神社がある。
 石段の上に小さな飾りのない社殿がある。
 創立年代ははっきりしないが、伝承によれば景行天皇40年(240年)、
日本武尊の勧請と伝えられる。

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 石段の脇に、享保8年(1723)の「はじめ」狛犬がいる。
 右ウン、左アとも胴が長く、笹の葉様の尾が背にくっついている。
 げじげじ眉で、口が波うっている。首に紙の垂(しで)のついた荒縄が飾られている。

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nakasen11-23.JPG  赤い鳥居の脇に、翁と媼が手をつないでいる、
宝暦4年(1754)の双体道祖神がある。

nakasen11-24.JPG 18号線と分かれて、貯水タンク脇の農地の中の細い道を行く。

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