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第5日 鴻巣 〜熊谷〜深谷(その1)
     
(吹上)                               
          宿間の距離 15.6+11.8km  2009.06.28
              歩いた距離  25.3km

  

nakasen05-01.JPG  高崎線の吹上駅で下車する。
 66号線(旧中山道)に出て、歩き始める。
 道幅が狭く、商店が並んでいる。

nakasen05-02.JPG  明治37年(1904)の軍馬頭尊がある。
日露戦争に徴用された馬を偲んで立てられたものだろう。

nakasen05-03.JPG  すぐ先の信号、本町で左折する。
右に吹上神社がある。

 昭和38年(1963)の「はじめしょうわ」狛犬がいる。
 右アは口を大きく開けて、玉を持っている。左ウンには子狛がいる。

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nakasen05-57.JPG  歩道橋の下に道標と「吹上 間の宿」の説明板が立っている。
 吹上は、鴻巣宿と熊谷宿の「あいの宿」で、
名物は「忍のさし足袋」と荒川の「ウナギ」、
「榎戸の目薬」であったという。
 この地は、八王子千人同心が日光東照宮を警護するために通る
「日光火の番」道と、中山道が交差することから重要視されていた。

 歩道橋で66号線とJR高崎線を越え、線路沿いの道をいく。

 道はだんだん線路から離れ、落ち着いた住宅地になる。

 右に榎戸堰公園があり、元荒川を利用した農業用水の水門がある。
 ここには明治時代に造られたレンガ造りの堰があったという。
 街道にもどると、用水にレンガ造りの橋がかかっている。
 これも明治時代に造られた道路橋を兼ねた煉瓦樋管である。

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 荒川の土手に上がる手前に小さなお堂がある。
 歌舞伎の白井権八ゆかりの権八延命地蔵である、という。

 そこで左に曲がり荒川の土手道にでて、
右の川上の方へいく。

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 すぐに熊谷市久下になる。

 道の左は広い河原で、畑になっていて、荒川は見えない。

 右は元荒川が蛇行しながら流れ、田畑や住宅、
マンションがせまっている。

熊谷市:マンホール

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 この辺りが江戸時代以前から洪水に備えて築かれていた
熊谷堤である。

 「決壊の跡」の碑がある。
 昭和22年(1947)のカスリーン台風で荒川が決壊し、
「埼玉県北部の村を次々と襲い、
利根川の決壊した濁流と合流し、
はるか東京まで達し、多くの人命を奪った」。

 今でも築堤工事を進めているようで、
荒川スーパー堤防の説明板があり、
広い整備中の土手道が続いている。

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 土手下に小さな稲荷社があり、
そこに一里塚があったという。

 土手の中ほどには小さな馬頭観世音の石碑がある。

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 広々とした土手をしばらく歩く。

 土手を下りていくところに、
明治に熊谷堤を修復した記念の「久下修堤碑」があるが、
字が薄くなっていて読み取れない。

 ここの坂は大八車が行き交い、道に輪型ができたので
「輪型の坂」と呼ばれるようになったという。

 土手を下りると、久下の集落にはいる。

 久下小学校の隣に久下神社がある。
 小さな、落ち着いた雰囲気で、久下村の鎮守である。
 昭和16年(1941)の「しょうわ」狛犬がいる。

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 久下は、かつて舟運と養蚕で栄えたという。

 白壁の蔵のある旧家の門は、瓦葺きである。

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nakasen05-17.JPG  個人の玄関前に「ここは久下上宿 右吹上宿 左熊谷宿」と書かれた灯籠と、
「この街道 旧中山道 屋号大鍛冶屋」と書かれた石碑がある。

 街道が再び土手にぶつかるところに地蔵堂がある。
 吹上でも権八地蔵があったが、ここも権八地蔵である。
 白井権八の物語と結びつけられた「物言い地蔵」として有名で、元禄11年(1698)の地蔵である。

 歌舞伎「鈴ヶ森」に登場する美少年侍の白井権八が金に困り、ここで絹商を殺して300両を奪う。
 地蔵がそこに立っていたので、権八が「他言するな」と地蔵にいうと、
地蔵が「わしはいわぬが、お主もいうな」と答えたという。

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nakasen05-20.JPG  手前の久下権八公園には、
熊谷堤碑(明治12年建立の碑を再建、題字は伊藤博文)がある。

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土手にあがると、荒川の渡し場であったところで、
「久下の渡し 久下冠水橋跡」の石碑と説明板が立っている。
「舟運が廃れたあと、
昭和30年(1955)に282メートルの冠水橋がかけられた。
 それも平成15年(2003)にその役割を終えました」という。

 そばには冠水橋の橋桁でつくられたベンチが置いてある。

 すぐに土手を下る道になる。

 下っていくと、庭木がきれいな家の塀のところに「みかりや跡」の説明板がある。
 「中山道を往来する旅人相手の茶店で、『しがらぎごぼうに久下ゆべし』ということばがある通り
『柚餅子』が名物であっただろう。
 また忍藩の殿様が鷹狩りに来ると、ここで休んだので『御狩屋』と呼ばれたという」。

 

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 東竹院がある。
 ここに、久下家代々の墓がある。
 源頼朝が挙兵した時、
久下の祖先が一番に馳せ参じた功により賜った「一番文字」の家紋が門扉についている。

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 境内には、達磨石があり、石碑に由来がある。
 「寛文年間、荒川に沈み行方不明になった達磨石は、260年の時を経て大正14年に発見され、
村を上げての引き揚げ作戦が展開され東竹院に安置、開眼された」。

 細いきれいな流れがある。
 そこに、県指定の天然記念物である「ムサシトミヨ」の説明板があった。
 「ムサシトミヨ」は、かつて熊谷、川越や東京西部に生息していたが、
環境が悪化し現在は熊谷だけでみられる貴重な魚である。

 右に小さな公園があって、そこが八丁の一里塚跡であるという。 
 小さな祠や三猿がついた庚申塔がある。

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