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第2日  板橋〜蕨〜浦和(その1)
      
(志村)      (北浦和)                     2009.05.31 
            
宿間の距離   8.6km+4.7km 2009.08.22
                   歩いた距離    14.0km        2010.01.10

 都営地下鉄三田線の志村坂上で下車する。

 17号線(中山道)から左の道に入り、清水坂を下る。 
 道が整備され、きれいな住宅街になっている。

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 寛政4年(1792)の清水坂と彫られた道標がある。
 ここは中山道で京へ向かう時、
唯一富士山が街道の右手に見える「右富士」の名所であったという。
 東海道では京へ向かう時、
茅ヶ崎と吉原での「左富士」が有名である。

 坂下三丁目で、17号線を突っ切るようにして旧道をいく。

 志村坂下で17号線と合流する。

 新河岸川を志村橋でわたっていく。

 車道の横の階段をのぼると荒川の土手で、車道脇の歩道を歩き戸田橋をわたる。

 ここからは富士山がよく見えるというが、あいにく曇っていて見えない。
 年が明けて富士山の写真を撮ろうと、もう一度戸田橋を訪れたが、
この日は、1月にしては気温が高く霞んでいて、いい写真が撮れなかった。

 橋のすぐ右側に、JRの埼京線新幹線が通っている。

 河原ではラグビーの試合をし、流れではボートの練習をしている。

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 ここは江戸時代、江戸防衛のため橋が架けられず、渡船場が築かれ「舟渡し」であり、
また、荒川を利用した舟運の一大拠点でもあった。
 「明治になり中山道の交通量も増え、明治8年(1875)に木橋の戸田橋が完成し、
『戸田の渡し』が廃止になりました」。

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 戸田市にはいって川沿いに、渡船場跡の碑を探したが、
見つけることができなかった。

 再度戸田橋を訪れた時、今の土手の外側に、道路にはさまれて
古い土手の名残があり、そこに渡船場跡の碑と説明板を見つけることができた。

nakasen02-06.JPG  荒川土手を下りると小さな水神社がある。
 境内には「水神宮」、「船玉大明神(船の守り神)」、
「大杉大神」の石碑があり、全て渡船に関係したもののようだ。

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 その裏に地蔵堂がある。
 戸田市内で最古の木造建造物であるという。

 境内に、享保16年(1731)の
青面金剛と三猿がついている庚申塔が立っている。

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 菖蒲川を川岸橋でわたる。

 オリンピック通りがある。
 1964年の東京オリンピックの時、
戸田がボートの競技会場であったので、
それを記念して命名されたのだろう。

 戸田市のマンホールも、花の中でボートが競い合っている。

戸田市:マンホール

nakasen02-04.JPG  戸田橋の左側にはボートのたまり場があって、
大学や実業団のボートの合宿場や競艇庫があり、
練習していた。

 17号線をいく。街道沿いに「種・苗」商店がある。

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 蕨市にはいる。

 宿の手前で、道を間違えてしまった。
 途中で気がつき、どうにか旧道にもどる。
 しかし蕨宿の入り口までもどらず、中ほどから旧道をあるいたので、
宿の前半を省いてしまったことになる。

 そこで8月にフォローしたので、
これからの記述は地図どうりに書くことにする。

蕨市:マンホール

 17号線から右にゆるくカーブして、中山道本町通り(旧中山道に分かれるところに、
「中山道蕨宿」の石柱がある。
 ここは蕨宿の「下の木戸」があったあたりで、
木の柵のような門があり、道は舗装の色を変えて整備され、旧街道の宿の雰囲気を残している。 
 マンホールも、中仙道蕨宿と書かれ、三度笠姿のカッパの絵が描かれている。

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 また、広重や英泉の描いた中山道69宿の絵をタイルにして、貼ってある。

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 連子格子の民家などもある。

 郵便局の前には高札場を模した屋根掛けの
「蕨宿界隈史跡めぐり」の案内地図がある。

 蕨市の歴史民俗資料館の分館がある。
 織物の買い継ぎ商の建物で、部屋の欄間やしきりに細かい細工がほどこされている。
 庭もこじんまりとしているが、きれいである。

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 nakasen02-16.JPG  蕨は江戸時代の終わりには、
綿織物業が盛んであったということで、
織機などが展示されている。

 駅に向かう商店街との交差点がある。
 その道角の歩道のところに、中山道の地図が描かれた、大きな方位盤がある。

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nakasen02-32.JPG  道の角には、蕨市の道路元標説明版がある。
 道路元標とは「大正9年(1920)施行の旧道路法によって、
全国各市町村に一つずつ置かれましたが、
昭和27年(1952)新道路法が施行されると
その役割が失われました」。
 今まで、あちこちで道路元標をみてきたが、
この説明で街道筋に必ずといっていいほど、
道路元標がある理由がわかった。

nakasen02-18.JPG  市立の歴史民俗資料館がある。
規模は小さいが、中山道の旅に関するものや、
蕨宿の展示がされている。 

nakasen02-19.JPG  その隣に本陣跡がある。
 「現在、加兵衛本陣の敷地の一部にモニュメントを建設、
『蕨本陣跡』として公開しています」。

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 街道を500mほど右にはいると、蕨城址公園がある。

 その隣に、和楽備(わらび)神社がある。
 鳥居左側の水屋内に大きな水盤がある。

nakasen02-23.JPG nakasen02-22.JPG  昭和3年(1928)の「渡来」狛犬がいる。
 左右ともア・アで、
たてがみがライオンのようで、
耳が小さく、鈴を首にかけている。
 右アは小さな子狛をおさえているが、
その子狛は親の飾りひもをくわえているようだ。
 左アは玉をおさえている。

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