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都営地下鉄三田線の志村坂上で下車する。
寛政4年(1792)の清水坂と彫られた道標がある。 ここは中山道で京へ向かう時、 唯一富士山が街道の右手に見える「右富士」の名所であったという。 東海道では京へ向かう時、 茅ヶ崎と吉原での「左富士」が有名である。
志村坂下で17号線と合流する。
新河岸川を志村橋でわたっていく。
車道の横の階段をのぼると荒川の土手で、車道脇の歩道を歩き戸田橋をわたる。
ここからは富士山がよく見えるというが、あいにく曇っていて見えない。 年が明けて富士山の写真を撮ろうと、もう一度戸田橋を訪れたが、 この日は、1月にしては気温が高く霞んでいて、いい写真が撮れなかった。
橋のすぐ右側に、JRの埼京線や新幹線が通っている。
戸田市にはいって川沿いに、渡船場跡の碑を探したが、 見つけることができなかった。
その裏に地蔵堂がある。 戸田市内で最古の木造建造物であるという。
菖蒲川を川岸橋でわたる。
オリンピック通りがある。 1964年の東京オリンピックの時、 戸田がボートの競技会場であったので、 それを記念して命名されたのだろう。
戸田市:マンホール
蕨市にはいる。
宿の手前で、道を間違えてしまった。 途中で気がつき、どうにか旧道にもどる。 しかし蕨宿の入り口までもどらず、中ほどから旧道をあるいたので、 宿の前半を省いてしまったことになる。
蕨市:マンホール
連子格子の民家などもある。
駅に向かう商店街との交差点がある。 その道角の歩道のところに、中山道の地図が描かれた、大きな方位盤がある。
街道を500mほど右にはいると、蕨城址公園がある。