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第5日 三島〜韮山(その2)     

                    (歩いた距離 15.9 km  2003.07.26)

izu05-13.JPG  韮山町にはいる。

マンホール:韮山町

 荒木神社がある。長い参道の奥に落ち着いた社殿がある。
 狛犬は昭和15年(1940)の「はじめしょうわ」で、
 鬼顔であるがとぼけた感じもある。

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 韮山駅の踏切を渡ると、駅前が公園になっている。
 駅からの歩道はタイル張りで、
源頼朝にちなんだ挿話の絵と説明が焼かれたタイルが並んでいる。

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頼朝

北条政子

北条時政

izu05-17.JPG  この歩道を10分ほどいくと、
平治の乱で敗れた源頼朝が、
永暦元年(1160)に伊豆に流され、
20年間居住していたという蛭(ひる)ヶ小島がある。
 かつては狩野川の中洲のひとつであり、
湿地で蛭が多くいたのでこの名がついたとか。

izu05-18.JPG  蛭ヶ小島の碑が立っている小公園には、
歴史民俗資料館と名づけられた、
18世紀の茅葺きの農家があるだけである。

izu05-22.JPG  韮山城があったという小高い丘に行く。
 ここは北条早雲が長く住んだところで「代表的な平山城」
である。
 城池親水公園となっていて、のんびり釣りをしている人
がいる。

 近くの江川邸に行く。
 江川氏は徳川幕府の世襲代官を務め、
この邸は「室町時代に建てられた部分と江戸時代初期に修築された部分とが含まれ」ていて、
国の重要文化財に指定されている。
 幕末の江川担庵は革新思想を持ち、「農兵の組織、大砲の鋳造、品川台場築造の計画を
すすめた」人である。
 庭内に形の変わった「パン祖の碑」がある。
 担庵は、「外国と戦争になったとき、食料として保存できるパンを焼くことを思いつき
長崎のパン職人を呼び学んだという。 全国より砲術を学びに来た多くの若者が
このパンの焼き方を身につけて国に帰った」。このことにより西洋式パンを全国に広めた、
功績によると書かれてある。

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 再び駅に戻る。駅前には韮山時代劇場がある。
 内容はホールと図書館である。

 伊豆箱根鉄道の韮山駅で乗車し、
三島でJRに乗り換えて、帰宅。

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